美ら海水族館の旧館とは?現館との違いや移転の理由を詳しく紹介

美ら海水族館の旧館って、名前は聞いたことがあっても詳しく知らない人が多いかもしれません。

私も最初は「現館と何が違うの?」と気になって調べ始めたんですが、その歴史や展示のスケールに驚きました。

この記事では、美ら海水族館の旧館の成り立ちや、今では見られない貴重な展示、跡地の現在までをわかりやすく紹介しています。

「昔行ったことがある」という人も、「これから行きたい」という人も、きっと楽しめる内容になっていますよ。

この記事を読んでわかること
  • 美ら海水族館の旧館とは何だったのか?歴史と前身の背景を知る
  • 沖縄海洋博覧会と旧館のつながりや展示のルーツを理解できる
  • 当時話題になった巨大水槽や人気展示の魅力を詳しく紹介
  • 旧館の跡地や復元予定について最新情報と実際の声を確認できる
目次

美ら海水族館の旧館とは何だったのか?その前身と施設概要を解説

沖縄を代表する観光名所「美ら海水族館」には、実は「旧館」と呼ばれる前身が存在します。ここではその成り立ちや魅力を詳しく解説します。

  • 美ら海水族館の旧館とは何だったのか?
  • 前身は?「沖縄海洋博覧会」の展示がルーツ
  • 旧館の魅力とは?当時話題になった人気展示とは
  • 誰が作った?運営元と建設の経緯をひも解く
  • ジンベエザメは死亡した?展示個体の記録

美ら海水族館の旧館とは何だったのか?

美ら海水族館の旧館は、1979年(昭和54年)に「国営沖縄海洋博記念公園水族館」として開館しました。

前身は1975年開催の沖縄国際海洋博覧会に設けられた「海洋生物園」で、博覧会後にその施設を活用して旧館が誕生したのです 。

当時の目玉展示「黒潮の海」水槽は全長27m・水量1,100トンと世界最大級で、サンゴ礁や熱帯魚のリアルな環境再現が高く評価されました 。

運営は内閣府による国営沖縄記念公園管理財団(現在は沖縄美ら島財団)が行っており、老朽化の進行と入館者減少を受けて2002年8月に閉館。約30年の歴史を経て、同年11月1日、新館「沖縄美ら海水族館」へと生まれ変わったのです 。

旧館は単なる観光施設にとどまらず、サンゴ飼育や大型水槽の技術的挑戦によって、今日に続く海洋展示の礎を築いた先駆けでした。

前身は?「沖縄海洋博覧会」の展示がルーツ

1975年(昭和50年)に開催された沖縄国際海洋博覧会には、大規模な「海洋生物園」が設けられており、その後の沖縄における海洋文化発信の起点となりました。

この海洋生物園は博覧会終了後も施設として残され、1979年(昭和54年)8月には「国営沖縄海洋博記念公園水族館」として、旧館の形でリニューアルオープンしました。

当時、旧館は沖縄随一の観光施設として注目を浴び、特に「黒潮の海」と称された巨大水槽(水量1,100トン、長さ27m、幅12m、深さ3.5m)は、来館者に海中世界の臨場感を提供し、世界最大級の規模として大きな話題を呼びました。

また公園全体として、イルカショーやマナティー館、ウミガメ館といった多彩な展示が揃っており、海洋博の記憶と沖縄の海を後世に伝える重要な拠点となりました。

旧館の魅力とは?当時話題になった人気展示とは

美ら海水族館旧館の最大の魅力は、やはり世界最大級の「黒潮の海」巨大水槽です。

全長27m・水量1,100tのスケールは当時ギネス級で、ジンベエザメやナンヨウマンタをはじめ、サメやエイなど多種多様な回遊魚が泳ぐ姿が圧巻でした 。

この水槽は深さ3.5mでしたが、現館ほどではないにしても、訪問者に深海の迫力と海中世界の臨場感をリアルに伝えていました。

さらに、イルカショー「オキちゃん劇場」やウミガメ館、マナティー館など附帯施設も充実し、家族連れや教育目的の訪問者からも高い評価を得ていました。

また、展示解説や給餌イベントも充実しており、例えば餌やり時のジンベエザメのパフォーマンスは館内アナウンスとともに行われ、来場者を惹きつけました 。

これらの魅力ある展示は、当時の訪問者に強い印象を残し、「沖縄旅行でここだけは外せない」と全国的に知られる存在へと押し上げました。

海外の研究者からも「水槽デザインと生体展示の先進性がすばらしい」と高い評価を受けており、教育・保全・観光を総合的に実現した施設として、後の現代型水族館のモデルとなったのです。

誰が作った?運営元と建設の経緯をひも解く

美ら海水族館の旧館(1979年〜2002年)は、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の跡地を活用して設立されました。

建設・運営を担ったのは、内閣府沖縄総合事務局および都市再生機構が事業主体となり、管理は1976年設立の国営海洋博覧会記念公園管理財団が担当しました 。

この財団は2002年に一般財団法人沖縄美ら島財団に改称し、現在も水族館および海洋博公園全体を一貫して運営しています 。

旧館は博覧会施設を常設化する目的で、海洋博公園の「海」を象徴するゾーンに位置づけられ、地元技術者や建築家の協力によって黒潮の海などの展示が設計されました 。

園内にはイルカショーやマナティー館など多様な施設が整備され、戦後復興期における沖縄の海洋文化発信の拠点としての役割を果たしました 。

2002年には施設の老朽化が進んだことと、海洋展示技術の高度化に対応するため、旧館は閉館。約30年の歴史の後、現館「沖縄美ら海水族館」へと引き継がれ、展示内容・技術・研究拠点として大きく進化しました 。

ジンベエザメは死亡した?展示個体の記録

美ら海水族館では、旧館時代の1995年に迎えたオスのジンベエザメ「ジンタ」が飼育され、その後も現館で27年以上にわたり世界最長飼育記録を更新し続けています 。

一方、野生個体をベースにした展示には先天的な骨格異常を抱えることもあり、2021年6月に飼育13年のメス個体が死亡しました

死因は、顎の基舌軟骨および角舌軟骨の異常と幽門部のねじれに起因する嚥下・消化不良と判明し、死因の詳細な解剖結果は科学論文として正式に報告されています。

この事例は、飼育下での巨大海洋魚類の健康管理の難しさを示す重要なケースとして、公的研究に貴重な知見を提供しました。

美ら海水族館では、死因解明後もCT画像や血液検査による診断を継続し、ジンベエザメの生理や病気への対策を他施設とも共有する研究体制を強化しています 。

一方、ジンタのように30年近く生存し記録を積み重ねる事例もあり、個体差を踏まえた長期飼育の可能性と課題の両面が存在します。現館では、飼育技術・モニタリング体制の水準をさらに高め、繁殖や長期飼育の研究を推進することで、絶滅危惧種の保全にもつなげています 。

美ら海水族館の旧館と現館の違い|移転理由や変化を実際に検証

2002年の現館オープンによって旧館は役目を終えました。ここではその違いや移転の理由、来館者の反応を紹介します。

  • ジンベエザメはいつから展示されていた?年表で紹介
  • 旧館に実際に行った人の声|記憶に残るあの展示とは
  • よくある質問|跡地や復元の予定はある?

ジンベエザメはいつから展示されていた?年表で紹介

美ら海水族館でジンベエザメの展示は、旧館時代にあたる1995年3月11日から始まりました 。

当時、オスの「ジンタ」は長さ4.6m、重さ800kgで搬入され、世界初のジンベエザメ飼育として大きな話題となります。

2002年11月に現館へ引き継がれた後も飼育は継続され、2025年3月現在でなんと30年間世界最長記録を更新中です 。

年表まとめ:

  • 1995年3月11日:旧館(国営沖縄海洋博記念公園水族館)に「ジンタ」搬入・展示開始 。
  • 2002年8月31日:旧館閉館。
  • 2002年11月1日:現館「沖縄美ら海水族館」開館、同館に「ジンタ」移設 。
  • 2025年3月:30周年迎え、全長8.8m・6tに成長し世界最長飼育記録を継続 。

この記録は、飼育下におけるジンベエザメの長期生存や健康管理技術の進化を象徴しており、現在も飼育員と研究者が超音波検査や血液検査による継続的モニタリングを実施 。このようなデータは、繁殖研究や絶滅危惧種保全への貢献にもつながっています 。

旧館に実際に行った人の声|記憶に残るあの展示とは

旧館は「黒潮の海」巨大水槽を中心に構成されており、実際に訪れた人たちからはそのスケール感が今も語り継がれています。

トリップアドバイザーでは「よく出てくるジンベイザメのいる大きな水槽、それがメイン」との声があり、巨大水槽が訪問者の心に強く残った様子がうかがえます。

また、じゃらんの口コミには「混んでるのは仕方ないってくらい素晴らしい水族館。…とても愛のある飼育をされていて感動した」との体験談もあり、旧館に対する高評価が目立ちます。

さらに、旧館時代から現館に至るまで一貫して運営に関わる古網雅也さん(広報・飼育員)「サンゴ礁から深海まで沖縄の海を旅する展示」と語り、その技術と展示コンセプトの一体感が多くの来館者に印象づけられていたと述べています。

よくある質問|跡地や復元の予定はある?

旧館の跡地は現在どうなっている?

旧館は2002年8月に閉館し、同年11月から新館へ移行しました。その後、跡地は「沖縄国営記念公園 海洋博覧会地区」として再整備され、現在も公園の一部としてリニューアルされています。跡地には散策路や記念碑、海浜公園の施設が設置され、観光スポットとして親しまれています

旧館を復元して再び開館する予定はある?

公式の施設概要を見る限り、旧館の復元や再開館の計画は発表されていません。現在の公式情報では跡地は公園施設として利用されており、水族館としての再建計画は確認されていません 。

跡地には何が残ってる?記念施設はある?

海洋博公園エリアには旧アクアポリスや園路、記念碑、展望エリアなどが残され、歴史を学べる展示物もあります。旧館の水槽など建築物は撤去済みですが、「海と人との出会いの場」の精神や海洋博の趣旨を伝えるモニュメントが整備されています

地元住民や観光客の声は?

元来、跡地はエメラルドパーク(仮称)として開園された後、長年にわたり地域に親しまれています。整備後には遊歩道や緑地も整備され、「旧館の記憶を感じられる数少ない場」として利用されています 。

まとめ 美ら海水族館の旧館

ここまでの内容を簡単にまとめると、美ら海水族館の旧館は、今の姿からは想像できないくらい歴史と個性に満ちた場所でした。

私自身も調べていて「そんな背景があったんだ」と何度もうなずきました。とくに昔訪れたことがある方にとっては、懐かしさと発見が入り混じるような内容だったかもしれませんね。

ポイントを絞ると、以下の通りです。

  • 旧館は1979年に「国営沖縄海洋博記念公園水族館」として開館した
  • 前身は1975年の沖縄国際海洋博覧会にあった「海洋生物園」だった
  • 「黒潮の海」水槽など、当時としては破格のスケールと展示が話題に
  • ジンベエザメ「ジンタ」は1995年から旧館で飼育が始まり、現館に継承
  • 跡地は現在も公園の一部として整備され、復元の予定は今のところなし

今の美ら海水族館をより深く楽しむには、旧館の存在を知っておくことが意外と大事なんです。当時の展示や設計に込められた思いが、今も脈々と息づいているんだなと感じました。

参照元(信頼できるサイト)

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この記事を書いた人

こんにちは、「うちなーたいむ」の運営者、内田なな(うちなん)です。
過去計5回の沖縄旅行を経験し、本島はもちろん石垣島・宮古島・久米島などの離島にも多数訪問。現地での取材やホテルレビュー、観光業者へのインタビューを通じ、リアルな旅行情報を発信しています。


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